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七五 イエズス・キリストのご昇天
イエズスさまはご復活ののち四十日のあいだ、たびたび弟子たちの所へ現れましたが、最後には、晩餐の行われた部屋に現れて、弟子たちに、「あなたがたはエルサレムから離れないで、かねて私から聞いていた、おん父の約束を待ちなさい。あなたがたは間もなく聖霊を受ける」とおっしゃいました。
それから弟子たちをつれてオリーブ山という山に登り、そこで、手をあげて弟子たちを祝福しながら、かれらの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、そのお姿が見えなくなりました。
弟子たちが、だんだん遠ざかるイエズスさまを名残おしく見つめていますと、白い衣を着た二人の天使がかれらの前に現れて、「ガリラヤの人たちよ。なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたイエズスさまは、今天にのぼって行かれたのと同じありさまで、またおいでになる」と言いました。
弟子たちは喜びおどりながら、エルサレムに帰りました。
一 ご復活祭四十日目に、イエズスさまのご昇天祭が行われます。この日はイエズスさまが天に昇られたことを記念する大祝日です。
二 使徒信経の第六条に「(イエズスは)天に昇りて全能の父なる天主の右に座し」とあります。
ロザリオ 栄えの玄義 第二玄義
「この一連を献げて、イエズスさまが天に昇られたことを思い、マリアさまのおん取り次ぎで、私たちも、天国の幸福と楽しみを心から望むようになりましょう。」
イエズスさまは、ご復活後四十日目に、使徒たちにつれて山にお登りになり、そこから、かれらの見ている前で、みなを祝福しながら、天国へお帰りになりました。私たちがやがて行くところも、イエズスさまのおいでになった天国です。マリアさま。どうぞイエズスさまが、私にも天国の幸いをお与えくださるよう、お祈りください。
天国
イエズスさまは私たちに先立って、まず天国へお入りになりました。私たちも、天国へ行かなければなりません。天国には、罪のよごれをすっかり洗い清め、恩恵をもって死んだ人だけが入れます。
天国は、とうていお話しつくせないような美しい楽しいところで、アダムのいた楽園よりももっとよい所です。ですから天国の喜びは、ほかのどんな喜びも較べものにならないほど大きく、この世では見たことも聞いたこともないくらいです。そこには、父と子と聖霊がすぐそばにおいでになり、そのまわりには、おびただしい天使がとりまき、またおん子イエズスさまのそばには、マリアさま始めたくさんの聖人たちが、楽しく暮らしていらっしゃいます。天国に入れば、そういう仲間に入ることもでき、また、亡くなられた両親やきょうだい、親戚やお友だちなども、もう永遠に別れることなく、楽しく暮らせます。そこには、喜びと楽しみばかりで、悲しみや苦しみは、いっさいありません。
しかし天国にいる聖人たちも、みな同じ程度の喜び楽しみを味わっているわけではありません。この世で行ったよいことの大きさに従って、その喜びも楽しみも、大きく深いのです。
一 天国に入るのはどういう人ですか?
天国に入るのは、罪のよごれをすべて清められ、神さまの恩恵をもって死んだ人です。
二 喜び楽しみばかりで、苦しみ悲しみはいっさいない。しかも、いつまでも。 これが天国の生活です。
三 ですから、神さまからいただいた恩恵を決して失わないように、そして進んで神さまのみむねに適うことをするように、いつも心がけなさい。
四 使徒信経の第十二条に、「終わりなき命(を信ずる)」とあります。天国の楽しみとは、終わることがありません。
五 私たちがこの世で暮らしている第一番目の目的は、やがて天国に入ること、ただこれだけです。ですから、そのためには何も惜しまず、どんなに辛いことでもいやがってはなりません。
イエズス・キリスト (復習)
神さまは人間を深く愛されたために、おん子イエズス・キリストをこの世におつかわしになりました。イエズスさまは人々を愛し、そのために、十字架につけられて亡くなられることも、いとわれませんでしたが、今も私たちのそばにおいでになって、人間に対するおん愛を示しておられます。
イエズスさまは私たちの救い主です
一 この世に生まれる人間はみな、人祖アダムの犯した罪の影響を受けています。これを原罪といいますが、すべての人は、この原罪のために、たいへん不幸な状態に陥っています。しかし神さまは、こういうことになった人間を哀れと思われ、やがて救い主をつかわすお約束をしてくださいました。その救い主がイエズスさまです。
イエズスさまがただの人間であったなら、どんなにすぐれた人でも、人間が人間を救うということはできません。けれどもイエズスさまは、ほんとうの人間であると同時に、神さまのおんひとり子であり、神さまでもあります。それで人間を救うことがおできになります。イエズスさまが神さまのおん子であることは、天のおん父のみことばと、イエズスさまが行われた多くの奇跡と、イエズスさまご自身のみことばが、証明しています。
イエズス・キリストのご幼年
二 救い主イエズス・キリストは、貧しい赤児の姿で、ベトレヘムの馬やでおうまれになりました。ロザリオの喜びの玄義には、そのご幼年時代のおもな出来事が含まれています。
ロザリオの祈りかた
ロザリオの祈りは、救い主とおん母マリアさまの、おもなおん喜び、おん苦しみ、みさかえを黙想しながらする祈りです、一つの玄義について、「天にまします」一回、「めでたし」十回、「願わくは」一回をとなえ、これを一連といいます。喜び、苦しみ、栄えの玄義には、それぞれ五つの奥義があります。それぞれの五つの奥義で、ロザリオのひとまわりのお祈りが終わり、これを一環といいます。そして三環でお祈りは全部終わりますが、各環には奥義が五つづつありますからこれを合わせて、ロザリオの十五玄義といい、合わせて「めでたし」を百五十回となえることになります。
ロザリオの祈りには、ロザリオ(またはコンタツともいいます)を使い、始めに、これから黙想する奥義をとなえ、大玉で「天にまします」一回、小玉では「めでたし」一回づつ合わせて十回、終わりに「願わくは」一回をとなえることになります。
毎日一環づつとなえる人は月曜日には喜び、火曜には苦しみ、水曜には栄えの玄義をとなえ、また木曜にはもとに帰って喜び、金曜に苦しみ、土曜に栄え、そして日曜には栄えの玄義をとなえるようにすればよろしい。
五月の聖母月、十月のロザリオの月は、特に、毎日少なくとも一環はロザリオの祈りをすることがすすめられています。
ロザリオ 喜びの玄義 (公教会祈祷文 134ページ)
第一玄義
この一連を献げて、聖母がおん告げを受けたまいたるを黙想し、そのおん取り次ぎによりて、けんそんの徳をこい願わん。
第二玄義
この一連を献げて聖母がエリザベトを訪問したまいたるを黙想し、そのおん取り次ぎによりて、人を愛する徳をこい願わん。
第三玄義
この一連を献げて、主の降誕したまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、清貧の徳をこい願わん。
第四玄義
この一連を献げて、聖母が清めの式にあずかり、主を聖殿に献げたまいたるを黙想し、そのおん取り次ぎによりて、おきてを守る徳をこい願わん。
第五玄義
この一連を献げて、聖母が主を聖殿に見いだしたまいたるを黙想し、そのおん取り次ぎによりて、主を愛する徳をこい願わん。
三 聖歌 公教聖歌集 374 みつかいの
イエズス・キリストの公生活
四 イエズスさまは三十歳になられると、故郷のナザレトを出て、世間にみおしえを伝えるため、旅にのぼられました。これからあとをイエズスさまの公生活といいます。まずそのはじめに、洗者ヨハネから洗礼をお受けになり、それからユダヤの国々をめぐって人々を教え、罪を赦し、病人をなおしたり、死んだ人を生きかえらせたり、水をぶどう酒に変えたり、パンと魚をふやしたりするような奇跡を行って、人々を助けられました。イエズスさまは、特に子供を愛され、祝福されたこともありました。
ご苦難とご死去
五 ご死去の前の晩、イエズスさまは、ご自分のおんからだとおん血を、御聖体として使徒たちにお授けになりました。その晩イエズスさまはユダによって敵の手に売り渡され、さんざん苦しめられ恥ずかしめられた末、十字架にくぎづけにされて、亡くなられました。イエズスさまは私たちを罪から救うために、ご自分から進んで、苦しみをお受けになったのです。
ロザリオ苦しみの玄義は、イエズスさまのご苦難とご死去を思い起こすものです。
ロザリオ 苦しみの玄義
第一玄義
この一連を献げて、主がゲッセマネの園にて、死するばかり憂いたまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、罪を痛悔する恵みをこい願わん。
第二玄義
この一連を献げて、主がむち打たれたまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、罪を償う恵みをこい願わん。
第三玄義
この一連を献げて、主がいばらの冠をかむらせたまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、侮辱を恐れざる恵みをこい願わん。
第四玄義
この一連を献げて、主が十字架をにないたまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、苦難を甘んじ受くる恵みをこい願わん。
第五玄義
この一連を献げて、主が十字架にくぎづけられて死したまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、救霊の恵みをこい願わん。
六 聖歌 公教聖歌集 374 みよや
イエズス・キリストのみさかえ
七 イエズス・キリストは、十字架の上で亡くなられてから三日目に復活されました。その後たびたび弟子たちに現れ、いろいろ教えられ、また、罪を赦す権利を授けられ、ペトロを使徒のかしらに定められたりされたのち、天のおん父のみもとにお帰りになり、そこから聖霊をおつかわしになりました。何年かののち、おん母マリアさまも、亡くなられたあと、その霊魂もおんからだもともに、天へあげられました。
ロザリオ栄えの玄義には、イエズスさまとマリアさまのみさかえのおもな事がらが含まれてあります。
ロザリオ 栄えの玄義
第一玄義
この一連を献げて、主の復活したまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、信仰の徳をこい願わん。
第二玄義
この一連を献げて、主の昇天したまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、天国の福楽を深く望む徳をこい願わん。
第三玄義
この一連を献げて、聖霊の降臨したまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、聖霊の賜ものをこい願わん。
第四玄義
この一連を献げて、聖母の被昇天を黙想し、そのおん取り次ぎによりて、よき終わりをとぐるおん恵みをこい願わん。
第五玄義
この一連を献げて、聖母が天使と人類との元后に立てられたまいしを黙想し、そのおん取り次ぎによりて、永福の冠をこい願わん。
八 聖歌 公教聖歌集 374 死のはりよ
御聖体の秘蹟とカトリック教会
九 イエズスさまは、ご自分が天に昇られたあとも、この世で、人々とともに住んで助けてやりたいと思われました。それで御聖体の秘蹟をお定めになり、使徒たちに、ご自分の代理者としてみおしえをのべ伝え、ミサ聖祭を献げ、秘跡を授け、人々を導く権利をお与えになりました。この権利は使徒から代々の司教に、それから司祭にも伝えられました。このようにしてイエズスさまは、すべての時代のあらゆる人々の救いのために、カトリック教会をおたてになったのでした。
十 私たちがいつもイエズスさまからいただいている愛は、イエズスのみこころのおん愛です。ですから私たちは、特にイエズスさまのみこころを敬い、感謝します。そのために、毎年御聖体の祝日の九日目の金曜日を聖心の祝日と定め、毎月の第一金曜日は初金曜日といって、特にみこころを尊敬します。毎月の初金曜日に続けて御聖体拝領する人は、特別なお恵みがいただけます。
十一 イエズスさまのみこころを敬うために、時々つぎのような短い祈りをとなえるのは、たいへんためになることです。
「至聖なるイエズスの聖心、われらを憐れみたまえ。」
「わがイエズスの甘美なるみこころよ。われをして、ますますおんみを愛せしめたまえ。」